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2012/02/27 14:38
小説等に「人生如何に生くべきか」という回答を求める人たち、エヴァとかドストエフスキーのファンってそういう 人たちが多いと思う。他方、小林秀雄さんは、「本居宣長」でそのように物語を戒めの方に解釈する方向を否定する。小林さん自体が、「人生如何に生くべきか」という問いを投げつけ、ヴァレリー等の作家を特に取り上げているところをみると一見自己矛盾にも見える。 |
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2012/02/12 07:50
「人が神という観念を持つから神が存在する」というアンセルムスの神の「存在証明」に対し、「銀貨の観念をもっていても、銀貨が存在するわけではない。」と難じたカントを、ヘーゲルは、「この人はアンセルムスの見た問題が何もわかっていない。」と思ったと思う。ヘーゲルを、「ドイツ観念論」としてカントからの流れで理解する人がいるが、カントが凡庸に落ち着いた位置は、ヘーゲルが極めた高みからは遙かに低い。 |
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2012/02/12 06:58
ヴィトゲンシュタインって、あの思想だと、物に名前があるのが当然であまり疑いを持たなかったのではないかと思う。もう、論考を読んだのも、数十年前だけど、命題が所与の世界って、命名の意義にあまり意識が至らなかい場合に成立しうる。 |
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2012/02/05 07:45
ヘーゲルの精神現象学や論理学等を読んでいていつも思うことは、「これって、刊行来、筆者を信じて読み切った読者はいるのかな。」ということである。わかったような気になる人は多く、わからないところは、ヘーゲルの神秘主義なるもの等として作者や時代背景の責任にしてしまう注釈者が多いのだが、作者は理性な人であるはずと信じて読んでいると、やはり、ヘーゲルは純粋に論理的で、ほかの哲学者等が通常思考を停止してしまう点まで考えていたことがわかる。同様に、小林秀雄氏の名著「本居宣長」も日本回帰としか読まれていないのだろうかといぶかってしまう。完成1300年で古事記ブームだそうだが、小林秀雄氏を信じる限り、本居宣長氏なり、古事記刊行なりも、「人は、自分の想いがかなわないかもしれない環境の中で、如何に生きるのか。」というヘーゲル同様の問題認識があったのだと思う。 |
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2009/06/13 01:50
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2009/06/08 01:33
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2009/05/26 00:01
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2009/05/24 18:33
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2009/05/23 00:02
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2009/05/19 23:15
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2009/05/19 23:05
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2009/05/19 00:52
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2009/05/18 01:55
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2009/05/17 14:25
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2009/05/17 11:57
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2009/05/17 11:45
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2009/05/08 23:31
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2009/05/07 00:33
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2009/05/05 13:26
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2009/01/03 22:19
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